2015年5月21日木曜日

◎ 生まれ変わりの理論 新約聖書 よりの仮説

また『生まれ変わり』について。

今のキリスト教では『生まれ変わり』とか『転生』の教義はない、とされているようです。 しかし、聖書の中をよく読むと、そうでもなさそうだと思われる部分が、いくつか目につくのです。 そして、この部分はいつも引用しますが、結構、重要だと思います。 つまり、コリント人への第一の手紙15章51節には、『眠ることになるのではなく変えられる』と書かれています。次の『終わりのラッパとともに』という文章から、これは『死の瞬間』であることがわかります。そうでなければ、論理矛盾を生じるからです。

◎ コリント人への第一の手紙 15-51

5 0 兄弟たちよ 。私はこのことを言っておきます 。血肉のからだは神の国を相続できません 。朽ちるものは 、朽ちないものを相続できません 。 5 1 聞きなさい 。私はあなたがたに奥義を告げましょう 。私たちはみな 、眠ることになるのではなく変えられるのです 。 5 2 終わりのラッパとともに 、たちまち 、一瞬のうちにです 。ラッパが鳴ると 、死者は朽ちないものによみがえり 、私たちは変えられるのです 。5 3 朽ちるものは 、必ず朽ちないものを着なければならず 、死ぬものは 、必ず不死を着なければならないからです 。

CORINTHIANS Chapter 15
50. Now this I say, brethren, that flesh and blood cannot inherit the kingdom of God; neither doth corruption inherit incorruption. 51. Behold, I shew you a mystery; We shall not all sleep, but we shall all be changed, 52. In a moment, in the twinkling of an eye, at the last trump: for the trumpet shall sound, and the dead shall be raised incorruptible, and we shall be changed. 53. For this corruptible must put on incorruption, and this mortal must put on immortality.
つまり、人が死んでから、かなりの時間が経過してから『終わりのラッパ』が鳴っても、その間に死体が埋葬されて朽ち果てたり、焼却されて骨となり骨壷に収められてお墓に収納されて何年も経過している、などと言う事ではないわけです。 また、その前に『眠る事になるのではなく』という文章がありますから、この話は死の直後であるはずです。そして、ここには『奥義を告げましょう』と書かれています。 (それで、死者は眠っているのではなく、単に死んでるだけだ、という反論も意味がないと考えます)

◎ 死と復活の奥義

つまり、ここでは、『奥義』として、特別に真実が述べられている、と考えるべきです。 それで、『51 死の瞬間に変えられる』、『52 一瞬のうちに』という論理が正解だとすると、どう変えられるのかが、次に書かれています。 なんと、『52 死者は朽ちないものによみがえり』とあるので、これは『霊体によみがえる』ことを意味しています。 さらに、次の文では、『53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならない』と書かれています。このように、肉体と霊体の一体化は『〜しなければならならない(must)』で記述されているのです。
さて、この部分以前に、霊体と肉体の説明があります。つまり、
肉体 => 死ぬもの、朽ちるもの
霊体 => 死なないもの、不死、朽ちないもの

という対比が述べられています。

▪️コリント第一15章42節より

『4 2 死者の復活もこれと同じです 。朽ちるもので蒔かれ 、朽ちないものによみがえらされ 、 4 3 卑しいもので蒔かれ 、栄光あるものによみがえらされ 、弱いもので蒔かれ 、強いものによみがえらされ 、 4 4 血肉のからだで蒔かれ 、 御霊に属するからだによみがえらされるのです 。血肉のからだがあるのですから 、御霊のからだもあるのです 。 4 5 聖書に 「最初の人アダムは生きた者となった 」と書いてありますが 、最後のアダムは 、生かす御霊となりました 。 4 6最初にあったのは血肉のものであり 、御霊のものではありません 。御霊のものはあとに来るのです 。 4 7 第一の人は地から出て 、土で造られた者ですが 、第二の人は天から出た者です。』
上記には、さらに様々な対比が述べられていますが、

肉体 => 卑しいもの(精子のことか?)、弱いもの(同左)、血肉の体、最初のアダム、最初にあったもの、第一の人(地から出た)
霊体 => 栄光あるもの(立派な成人?)、強いもの(同左)、御霊の属する体、最後のアダム(生かす御霊)、御霊のもの、第二の人(天から出た)
ということでしょうか。
『4 8 土で造られた者はみな 、この土で造られた者に似ており 、天からの者はみな 、この天から出た者に似ているのです 。 4 9 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように 、 5 0 天上のかたちをも持つのです 。』
次も、肉体と霊体の対比が述べられていますが、それは、
肉体 => 土で造られたもの、
霊体 => 天から出たもの、
ということです。 しかし、次に重要な事が書かれています。
『 4 9 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように 、 5 0 天上のかたちをも持つのです 。』
これは、人が『肉体』と共に『霊体』を持っている事を意味しています。しかも、全員が持っている、と言っているようです。

◎ 肉体と霊体は常に一体となっている、のか?

それで、53 を言い換えてみると、 『朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず』は、 『肉体は必ず霊体を着なければならず』となり、
『死ぬものは、必ず不死を着なければならない』は、 『肉体は、必ず霊体を着なければならない』
というように、ここは同じことを別の言い方で述べているだけですが、この記述から、死後も『肉体』と『霊体』が一体化する事を述べています。 つまり、人が生きているためには、肉体とそれを生かす御霊が一体となっている、ことが必要だと述べているのではないでしょうか。

◎ 新たな肉体とは何か?

そうなると、『死んだ後にまた肉体を着る』ということは、どういうことでしょうか。 すでに死んだのだから、死体になった肉体と霊体がまた一緒になると、生き返ってしまうのではないでしょうか。 だから、死後に着る肉体は、死体となった肉体とはまた別のものでしょう。それはいったい何なのでしょうか。

ここで、私たちが思い返す事は、アダムが土から作られた肉体であったが、それに『生かす御霊がはいり』『アダムは生きたものとなった』(45-47)という部分です。 つまり、新たな肉体は、土から造られたもので、おニューなもの(他の霊体が宿っていないで肉体)であれば良いわけです。
私たちは、地上に生まれてきた時に、どのような状態であったのかを考えると、それは母親のお腹の中にいる胎児だと気がつきます。 結局、世界中に生きている人の誰一人として、母親のお腹から生まれて来なかった人はいない、と断言できるはずです。言い換えると、人は母親の胎内から例外なく生まれ出てきていたし、今後もそれが行われるだろう事が容易に想定できます。
人は単なる生死と卵子の結合したものから、複雑な構造を持つ人体が形成されて、この世に生まれ出てくるのです。 この事は奇跡的なことでもありますが、その物質的な肉体の変化や成長の詳細は、現代科学が次第に明らかにしてきました。そして、今後は霊体の解明へと進むかもしれません。
以上、くどくどと述べてきましたが、上記の生まれ変わりの理論が独断と偏見である可能性もありますので、各自で十分に、納得の行くまでご確認くだされば幸いです。 植木淳一

2014年8月17日日曜日

★ これまでに書いてきたことを一覧に、、、

おれももう良い年だし、この先、どれくらい生きていられるかわからないから、一応、これまでに書いたところを列記しておこうと思う。
離婚後31年が経過して、一人暮らしも地に着いたが、人間関係がない分、ネットや研究などに専念できたと思う。
こうしたブログなどに、あまり大したことは書いていないが、一応のことは書いてあると思う。本当は、印刷して出した【機関紙】に書きたいことが書いてあるのだけれど、それでも十分でなく、ある問題と都合でネット上には出していない。
ご一読いただければ幸いである。

◎Spacepeople and Paradice
http://spacepeople-ga.blogspot.jp

◎ウエブリブブログ
http://alpha-old.at.webry.info

◎アメブロ
http://ameblo.jp/woodjun1/entrylist.html

◎国際宇宙旅行協会
http://www.ifnet.or.jp/~jun-old1/

◎Facebook 植木淳一 幕張メッセの背景のある写真が目印

○未来に関しては、キリスト教関連だけでなく、これを一応視野に入れていて欲しいと思う。もちろん、私が書いたものではない。

★法滅尽經

http://cosmo777.cocolog-nifty.com/watch/2005/11/post_7b37.html

http://www.amazon.co.jp/仏説法滅尽経と弥勒下生-出口-王仁三郎/dp/4900441791

植木淳一

追伸

こういう話は、まだおとぎ話に属するのかもしれない。 しかし、エドガーケイシーも述べた地軸の移動とか、A氏の述べた地球傾斜が起きて、地球の陸地の多くが水没し、代わりに新たな陸地が海底から現れたらどうなるだろう。 今までの国境は変化するし、国そのものも無くなってしまうかもしれない。また、軍備は国が元になっているから、それも無くなってしまうかも。そして、新たな陸地では新たな世界が誕生するわけだ。 それは、黙示録に述べられる新たな天地と言えるだろうか。また、その事は法滅尽經に述べる大洪水とミロクの世の中となるだろうか。 我々はそれを待ち望むこともできるが、個人的には新たな生涯を得るために良き所へ転生をする方が良い結果が得られると考える。もちろんそこは、天空にあるどこかであろう。 イメージ法というものがあるが、地上をどうこうするより、そうした空想の世界に遊んで見るのも一興ではないかと思う。 熱烈なイメージは望むものごとを実現させるという。浄土宗や浄土真宗ではナムアミダブツを唱えると、極楽浄土(天国)に往けると説き、それのみを唱えることを修行とした。じつに簡単なシステムである。 かつて巷ではアセンションという言葉が流行ったが、ナムアミダブツもその一種ではないかと考えたりする。 地上社会の問題は重要ではあるが、個人としての内面の充実も大切に思う。 自分を生かしてくれている自身内部の神への思いと、他人には自分がして欲しいと思うことのみをしてあげる事である。 2014年の夏に書いてみた。 植木淳一

★ 終戦記念日に思う

●太平洋戦争・終戦69周年を記念して
8月15日は、太平洋戦争が終結した【終戦記念日】でした。 テレビでは関連した番組の放送をやっていましたし、新聞では関連記事が書かれていました。そこで、私もモノマネで、何か書いてみようと考えました。 私の父は太平洋戦争中に陸軍に徴兵されて、戦地に赴き、東チモール島防衛作戦に参加して、その地で終戦を迎えました。 戦後、父の部隊はこの戦争の記憶を後世に残そうと、生き残りの人達の体験談を集めて文書を作成しました。それが「台湾山砲戦記」です。これは947ページもある大著なのですが、父の所属した部隊の行動の全貌がわかり、歴史的な資料になると思われます。 そこで、このなかで目を引かれた二つの記事をご紹介し、この戦争でなくなられた方々と共に、今は亡き父と戦友達のご冥福を祈りたいと思います。そして、二度とこのような不幸な戦争を起こさないような社会を作り上げたいと願うものです。 この中の記事で「嗚!痛憤のサペ海峡」は、父のお世話になった白沢氏の最後が記録されているらしく、赤ペンで印が付けられていました。父はその記事を読むまで、詳しい事は知らなかったそうです。 また、私の知らない方の記事ですが「戦争と相撲と私」には、戦後、捕虜になった方が、釈放されるまでの間、お得意の相撲や柔道の技を披露して親睦をはかったことが書かれているので、読んでいて微笑ましいものでした。 台湾は当時、日本の領土であり、また大陸や南方への最前線の地でした。この地に、ご皇族の直接指揮する師団があり、各部隊はそこの元に属していました。また「大空のサムライ」を著したゼロ戦のパイロットの坂井三郎氏も、台湾の航空基地からフィリピンに飛び立ったことが書かれています。 上記の記事のPDFへのリンクです。 http://www.ifnet.or.jp/~jun-old1/taiwansanpou.pdf 植木

2014年8月4日月曜日

☆ 先日、幕張メッセで開催されている『宇宙博』に行きました。

7月27日には、幕張メッセで開催されている『宇宙博』にでかけました。 展示されていたものは、主としてNASAと日本のJAXAからのものでしたが、宇宙に興味のある人達にとってはとても興味ある展示ではなかったかと思います。当日は日曜日だったので沢山の入場者がいましたが、ゆっくりと見て歩くのに、2-3時間あった方が良い分量でしょう。 ところで最近、私はある理由から、あと千年くらいで地上は終わりになるのではないか、という妄想を抱くようになりました。そうなると、その時、私は生きていないですが、千年後の地上人類は、その前に他の太陽系に移住しない限り、困難に陥ります。 つまり、ニホンウナギと同様に、絶滅危惧種が地上人類なのではないか、という事を想像するのです。そうなると、未来の人類にとっても宇宙開発は絶対必要です。少なくとも、少しは続けて技術を磨き続けないとダメです。 過去に、自転車屋のライト兄弟がキティーホークの丘で人類初の動力飛行に成功してから約100年で、ジャンボジェット機の飛行する世の中になりました。ジャンボジェット機は500人乗りですが、比較的快適な環境の中で椅子に座ったまま、東京からロサンゼルスやニューヨークまで行くことができます。それが毎日、世界中の空を飛び回っています。しかし、ライト兄弟以前には、人類が空を飛ぶことは不可能だと言われていました。 だから、今は不可能に思えても、五百年後や七百年後には不可能でなくなる確率が常にあります。だから、今はそうした可能性にかけるしかないわけです。 ☆☆☆ 人類の未来があと千年くらいで終わるという話には、いくつか根拠がありますが、ここではキリスト教の聖書にある記述からの理由を上げておきます。 それは、イエスが死の前に、自分が死後三日目に復活する、と預言した事です。(各福音書にある)これは通常、三日目にお墓から蘇ったことを意味するとされていますが、弟子たちの手紙の中に『神の目から見た一日は千年のようであり、千年は一日のようである』という言葉を根拠にすると、彼の再臨(復活)は三日(三千年)目の今(およそ西暦2001年〜3000年)であるのです。 ○一日目 西暦 1年〜1000年 (イエスの死が西暦30年頃?) ○二日目 西暦1001年〜2000年 ○三日目 西暦2001年〜3000年 また、イエスの再臨する日は、『終わりの日』でもあるので、この千年期間ののちに、世界は終わりとなる(?)わけです。 ☆一般的な知識とは別に、太陽は最も古い星のひとつである証拠がある(?) 太陽のような恒星は、核融合反応で熱や光を生み出しています。その核融合が続くと、次第に重い元素が溜まってきます。その重い元素の比率を測定すると、太陽は『同じ大きさの星』の中で最古級に属するのだそうです。つまり、太陽はまだ四十億年も輝き続ける中年の星ではなく、末期に近い老年の星なのです。これに関して、カルシウム・スペクトルを用いた、太陽と同じ大きさの星々の年齢の比較グラフを見たことがあります。 ☆絶滅する種の数が激増している これは太陽系の崩壊とは関係ありませんが、こうした傾向がなぜあるのかを考えると、今の地上人類の思考や行動が、やがて絶滅に至らない訳がない、とも思えます。 ◎ 種の絶滅速度からの推定。 1975年以前は、1年間に絶滅する種数は1種以下でしたが、 現在は1年間に4万種もの生きものが絶滅していると言われています。 http://www.env.go.jp/nature/yasei/ex-situ/step0.html 現在、地上の名前の付けられた種は約120万種あり、未知の未発見の種を含めると約870万種が地上に存在しているのではないか、という推測がある。 すると、年間4万種の生物が絶滅すると、地上の生物達は、120÷4=30、により、あと30年で知られている全ての種は絶滅し、未発見の種を含めると、870÷4=217.5、から、あと217.5年で地上の生物は全滅することになります。さて、この中に人類が含まれるのはいつの日でしょうか? http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110825002 植木淳一

2014年5月19日月曜日

★今年の夏は幕張メッセで開催される「宇宙博 2014」を見に行こう!

今年の夏は幕張メッセで開催される「宇宙博 2014」に出かけてみようと思ってます。

「SPACE EXPO 2014」

★2014年7月19日-9月23日
◎幕張メッセ 国際展示場10-11ホール

http://www.space-expo2014.jp/

2013年10月10日木曜日

祝>ヒッグス粒子発見確定によりノーベル賞

◎ヒッグス粒子の提唱者にノーベル賞
 スウェーデン王立科学アカデミーは8日、2013年のノーベル物理学賞を、万物に質量を与える「ヒッグス粒子」の存在を提唱した英エディンバラ大のピーター・ヒッグス名誉教授(84)とベルギーのブリュッセル自由大のフランソワ・アングレール名誉教授(80)に授与すると発表した。
 ヒッグス氏らは1964年、宇宙のあらゆる所を満たしている素粒子によって他の素粒子の動きが邪魔され、動きにくくなることで質量が生じるとの理論を発表した。この素粒子はヒッグス粒子と呼ばれ、半世紀にわたって探索が続けられてきた。そして、過去にも何度か発見が公表されてきたが、今回はその存在が明確化して、集大成ともいうべきノーベル賞受賞が決定したわけだ。

個人的には、これが重力制御等に繋がるかというと、全然そうではなくて、ただ素人には分からない分野での発展があっただけに思われる。つまり、自然界への理解が一歩前進というわけだ。
過去にも電磁力と弱い相互作用の統一理論の『電弱理論』がノーベル賞を受けたが、放射能にも関係する素粒子の崩壊を起こす『弱い相互作用』が、電磁気を用いて工学的、技術的に起こせるかというと、全然そうではなさそうである。ただ理論的に証明されただけのようだ。
ヒッグス粒子も、現在はそれに似た状況にあるのではないかと思われる。同分野の今後のさらなる研究のご発展を望む次第である。

植木淳一

http://topics.jp.msn.com/life/environment/photo-article.aspx?mediaid=4155499 http://topics.jp.msn.com/flash/article.aspx?articleid=2113800 http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=2115531

2013年8月27日火曜日

◎残暑お見舞い

◎生まれ変わりには「自分の内部に存在する主との一体化」が必要

日本ではかつて多数の信者をもつ宗派の一つに浄土宗と浄土真宗がありました。法然とその弟子の親鸞が開祖です。この宗派は、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えていると極楽(天国)へ往生できるという”シンプル”な教えでした。つまり大衆にとって理解しやすく実践も容易な教えであったので、信者数も多かったわけです。現代風に解釈すると、その行法はイメージ法であり反復思念法の形態を取っていたと言えます。
昔の人達が多数で集まり、一心にこの行法を続けることで、そこに集まった個人の精神にも大きな影響があったと想像されます。残念ながら筆者の家は別の宗派に属しているので、その実態は想像するしかないのです。現代人は極楽へ死後に行けると言われて信じるのかどうかはわかりません。たぶんその人によるのでしょう。

『体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。神は主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。』(コリントの信徒への手紙1、第六章13-14)
『娼婦と交わる者はその女と一つの体になる、という事を知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。』(コリントの信徒への手紙1、第六章16-17)
『知らないのですか、あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。』(コリントの信徒への手紙1、第六章、19)

上記の文章を自分なりに解釈すると、我々の体の内部には「主」なる存在が宿り、それと一体化することにより「復活」にあやかれる(死後に復活することができる)。その主なる存在は、神からいただいた聖霊とも言えるもので、私達の体はその神殿である(だから、大事に扱うべきである)となります。 また、個人的には、これらの事柄はキリスト教徒だけでなく万人に当てはまるものと思っているので、誰でもそうした恩恵にあやかれるものと考えます。また、この主なる存在は『守護霊』とか『ご先祖様』といわれる力や不思議な現象を引き起こす存在でもあるのではないか。

しかし、この「復活」という言葉は過去に書いたように、転生とか生まれ変わりと解釈すると、重要な要素は「主との一体化」です。 「私たちは死後に眠りにつくのではない」(コリントの信徒への手紙1、第十五章51)とありますので、転生は瞬時に行われる、とする仮説が成り立ちます。
それで、一般的な解釈である、キリストとの一体化を『教会に所属する』としただけでは「復活に至る」筋道が今ひとつ不鮮明な気がします 。さらに、何かの要素が必要ではないかと思うのです。

だいたい、私たちが内部に宿る「主なる存在」に気づかないのは「なぜ」でしょうか。しかも、それと一体化していないというのは不思議です。
おそらく、私達の心(顕在意識)はいつも多忙で、目先の事柄や欲望の対象を常に追いかけ続けて、自分の内部に目を向けていることは、ほとんどないからかもしれません。一方、病気や怪我で寝込んだ時に、少しだけ内部に目を向ける事ができる可能性があります。顕在意識に対する潜在意識という言葉がそこから生じてきました。

『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(マタイによる福音書、第二十二章37)という言葉もあります。新約、第一の掟である、この言葉に、それが尽くされているとも言えるのではないか。

スイフトの『ガリバー旅行記』には、天空に浮かぶ島「ラピュタ」の事が出てきます。その島に住む、科学に秀でた種族のラピュタ人は、片方の目が内部を向いている、という変な人達でした。
しかしそれは、彼らが自身の内部を見つめる人達である事を意味しているわけで、もしかしたら、主との一体化を達成した人達であったかもしれないのです。

しかし、人の内部に宿る主との一体化に関して、今後も研究を続ける予定です。

まだまだ暑い日が続きますが、どうぞお元気でお過ごしください。

植木淳一

2013年8月26日月曜日

★システム日が違ってますね。

知人から連絡を受けたのですが、このブログのシステム日が間違ってます。
昨夜書いた『残暑お見舞い』が、27日の日付になってます。
今は夜中の1時11分です。
しかし、表示してみると、この記事に関しては大丈夫のようです。

2013年6月27日木曜日

◎国会が終わり、いよいよ参議院選挙です。

国会も終わり、次は7月21日に投票が行われる参議院選挙です。
その争点の一つに、憲法改正があります。

今回の憲法改正議論に関しては色々ありますが、やはり連合国から与えられた憲法だというで、日本国民がそろそろ自分達の憲法を持ちたくなった、ということでしょうか。
しかし、現憲法に慣れた私たち国民にとっては、憲法改正がどのような結果を生むのか、法律の専門家や政治家でない限り、予測できない部分があることは否めません。
例えば、今の基本的人権を失うことは、どれだけのひどい目に会う人たちが出るのか、想像さえ出来ません。母子家庭への援助金や老人への年金制度、犯罪者への現行の刑罰(拷問を受け自白させられたり、やたらに死刑にはならない)など、全て基本的人権の上に成り立っています。また、日本には奴隷制度やインドのカースト制度のような身分制度はありません。これも、国民は全て平等であるという基本的人権が認められているからです。

また、日本が軍隊を持つ場合、次の点に留意するべきでしょう。まず、核兵器は持てないという事です。つまり、核兵器の自主開発をすると、包括的核実験禁止条約(CTBT)に引っかかるので、国連により制裁処置を受けます。つまり、経済封鎖体制を敷かれた北朝鮮やイランの二の舞になるのです。 また、軍備を持ち戦争になったとします。戦争に勝つためには、通常、相手国の中枢部を大軍をもって制圧・支配する必要があるので、物質的、経済的、人的な犠牲や国民の精神的負担も大変なものになる事があります。

また、そうでなくても軍部が行き過ぎた行動を取り、取り返しのつかない事になる場合もあります。通常、軍隊を使う場合には、十分な統制をとる必要がありますが、一般的に、国民がそれを監視し制御することは不可能です。
これは、かつての太平洋戦争前に起きた出来事です。その時、軍部が総理大臣まで取り替えて(暗殺)内閣を支配し日本を動かしました。しかし、相手国側から日本の行動は侵略戦争だということで、国際連盟に訴えられ、それが可決されて、世界的な制裁処置が取られました。つまり、石油の輸出禁止や鉄の輸出禁止などの封鎖処置があり、石油資源がほとんどない日本は、絶体絶命の危機に陥りました。このため、国家の存亡をかけて南方の石油資源を奪うために、日本は世界を相手に戦争をしなければならなくなりました。そして、600万人を超える死者や、多数の負傷者達を出すはめに陥ったのです。 結局、軍隊をうまく運営には十分すぎるほどの注意が必要であり、できるだけ戦争はしないで済ませる方策を模索する事が必要です。 しかし、その前に、日本が今後どのような方針で国際社会に対応して生きてゆくのかという事に関して、十分な討論が必要だと思われます。 さらには、今の憲法条文と比較して、良いと納得できるもの以外は、やたらに改修したり削除したり、いじらない方が得策だと思うのです。
とりあえず、気になることを書いてみました。 植木淳一

2013年6月6日木曜日

「ロシアの隕石落下」をNHK「コズミック・フロント」で放映予定


「コズミック・フロント」で「ロシアに落下した隕石」の番組を放映予定。6月12日(木曜日)午後10時より。

今年二月に「ロシアに落下した隕石」は空中で爆発したものの、千人を越える人数の負傷者を出し、多くの建物にも損害を出しました。
百年に一度の出来事と言われるこの隕石落下に関して、NHKの番組「コズミック・フロント」では来週の6月12日(木曜日)午後10時から放送するそうです。どのような内容なのか今から楽しみにしています。

植木淳一

2013年5月29日水曜日

◎南海トラフ巨大地震の被害想定を政府が公表した。


◎南海トラフ巨大地震では、死者32万人、避難者950万人、家屋の全壊238万戸という被害想定

【政府の中央防災会議の作業部会は28日、マグニチュード(M)9超の「南海トラフ巨大地震」対策の最終報告書を公表した。
被害が広域かつ甚大で、大量の避難者が見込まれる一方、行政の支援に限界があるため、高齢者などを優先的に避難所に受け入れる新たな考えを盛り込んだ。日本全体で支援体制を検討することも提言した。また、地震の予知は困難だと指摘し、被害を減らすため、迅速な避難や食料の備蓄など「自助」の必要性も強調している。
(家庭での食料の備蓄は一週間以上必要と勧告)
南海トラフ巨大地震は最悪の場合、発生後一週間で950万人の避難者が出て、避難所が大幅に不足するとみられる。このため作業部会は、避難所の利用者に優先順位をつける「避難所トリアージ(選別)」という対策を打ち出した。自宅の被害が軽微の場合には帰宅を促す。政府は今年度中に対策大網をまとめる。】(29日の読売新聞朝刊より)

【南海トラフ巨大地震】とは。
静岡県沖から四国沖、九州沖合にかけて延びる南海トラフ(海底の溝)に沿った地域で発生する大地震で、最大規模のマグニチュード(M)9級。過去にこの規模の大地震が同地区で発生した記録はないが、中央防災会議は1000年に一度かそれより低い頻度で起きるとした。
この例が二年前の311の東北大震災である。三陸沖を震源とする大地震は過去に周期的に発生していたが、M9を超えるものはなかった。地震発生後、学者が調べたところ、過去の堆積物から1000年くらい前にも同地域では、こうした巨大地震があったことが分かった。だから南海トラフでも同様の可能性があると判断されたのだろう。
南海トラフではM8級の地震が100年から150年ごとに繰り返し(周期的に)起きている。政府の地震調査委員会は今月、M8〜M9級の地震が同トラフのどこかで起きる確率を30年以内に60〜70%と発表した。

◎南海トラフ地震の被害想定

植木淳一

2013年5月24日金曜日

★「イプシロン・ロケット」8月22日打ち上げ決まる


jaxa(日本宇宙開発機構)は5月22日、開発を終えた新型のイプシロン・ロケット試験機を8月22日に内之浦の宇宙空間観測所から打ち上げることを発表しました。


イプシロンロケットは、2006年(平成18年)度に廃止されたM-Vロケットの後継機として2010年(平成22年)から本格的に開発が始まった固体ロケットです。M-VロケットとH-IIAロケットの構成要素を流用しながら、全体設計に新しい技術と革新的な打ち上げシステムを採用することで、簡素で安価で即応性が高くコストパフォーマンスに優れたロケットを実現することを目的に開発されている。M-Vロケットの約3分の2の打ち上げ能力と約3分の1の打ち上げ費用(30億円以下)を実現することが具体的な開発目標であった。
このM-Vロケットは、小惑星探査機「はやぶさ」や火星探査機「のぞみ」等を打ち上げた実績がある、かつての日本の主力ロケットであった。しかし、液体ロケットエンジンを採用したHIIAロケットの登場で主役の座を降りた。
このように固体ロケットエンジンで人工衛星を打ち上げているのは、世界の中でも日本だけである。また、日本の固体ロケットエンジン技術は米国に採用され、米国のICBMの固体燃料化に役立った。


このイプシロン・ロケットの軌道への打ち上げ能力は、地球低周回軌道に1.2トン(250km×500kmの楕円軌道)〜700kg(500kmの円軌道)、太陽同期軌道へ450kgとなっています。http://www.jaxa.jp/pr/brochure/pdf/01/rocket07.pdf


これは、日本のロケット界の創始者である糸川博士以来、日本が独自に開拓した「固体燃料ロケット」の最新型です。
また、このロケットは過去の技術を統合したうえ、新たな管理技術(自立型セルフチェック機構)を導入する事により、打ち上げまでの準備期間を、過去には数ヶ月かかっていたのを一週間程度の期間に短縮することに成功しています。
さらには、管制センターの管制官の人数を、パソコン数台で管理する事で、三人程度にまで減少させることにも成功しています。

これはある意味で、夏に遊ぶ「花火」のように、メインエンジンが維持管理や準備の簡単な「固体燃料ロケット」だからできた事ではないかと、私は想像しました。つまり、メインエンジンは工場で作成したのち、乾燥剤とともに倉庫に置いておき、必要になったら上段と共に発射台に設置して火をつければ飛んで行くのです。
ところがH2のような液体燃料ロケットだと、そうは行きません。液体酸素とか液体水素を注入するのにそれぞれ何時間かかるとか、点検にかかる時間も考慮して、綿密な発射計画を実行しなければなりません。万一、発射延期となるとまたその為の作業が大変です。
ともあれ今後は、こうした技術を各国が導入して、打ち上げまでの期間短縮や管理の合理化を行うと想像されます。

今回の打ち上げでは、SPRINT-A を所定の軌道に投入することが主なミッションとなります。
SPRINT-A は、地球を回る人工衛星軌道から金星や火星、木星などを遠隔観測する、世界初の惑星観測用の宇宙望遠鏡で、極端紫外線(EUV)分光器によるイオトーラス(プラズマが濃い領域)の観測や惑星外圏大気と太陽風の相互作用の観測を行うそうです。

打ち上げが楽しみですが、ご成功を祈ります。

植木淳一

2013年5月14日火曜日

◎決定版 2039年の真実 落合信彦著

「決定版  2039年の真実」落合信彦著。

未来に興味を持つとすれば、その有力候補の一つがこの事件です。故ケネディ大統領は1963年にダラス市で遊説パレード中に銃撃で暗殺されましたが、犯人とされるオズワルド氏は移送途中にジャック・ルビー氏に殺害され、そのルビー氏も獄中で死去しました。

この暗殺の原因に関しては、なぜか2039年まで公開をしないことに決められました。一体何が真相なのか、またどうしてそんな未来に公表しなければならななかったのかが、この年に分かるというわけです。  植木


http://kokis.client.jp/noby/books/n_kettei2039.htm

2013年5月2日木曜日

いよいよ憲法改正?


日本の「弁護士連合会」は、現政権が改正手続きを定めている憲法96条の改正を問題としているようです。つまり、政治的に都合良く改正されると、その改正により国民の権利が奪われることがあるためです。
現在は様々な自由がありますが、政府の都合でそれらを禁止できたり、徴兵制度を敷いて、強制的に軍隊へ若者をいれることが可能(日本国が軍隊を持つことができる場合)となります。
現政権の進める改正点の最重要な点が、憲法改正手続きを規定した96条の中で、議会の議員数の2/3の賛同で改正案を発議する、という箇所を「過半数」に変更する、があります。これを行うと容易に憲法が改定できるはずです。
これに対して、弁護士連合会は、議会の2/3の賛同で改正案を発議するのは、世界的に見て決してきつい制約ではないことをあげています。つまり、議会の2/3の賛同で改正案を発議する国は沢山あり、それらの国でも憲法改正が行われているからです。
むしろ、その後の国民投票数の過半数の可決で改正案が成立するのは、規制がゆる過ぎると考える人たちがいるのです。つまり、投票した人数が総参政権者の30-40パーセントだとすると、その15-20パーセント超の賛成票数で改正できてしまうのです。
そうだとするなら、阿部内閣は現行の改正手続きを踏んで、憲法改正を行ってゆくのが妥当に思われます。その改正が本当に必要なら、党派を超えた賛同が得られるはずだと思うからです。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/opinion_130314_2.pdf

日本国憲法  第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

今は特別立法により、暫定的に上記の理想を実現する国際的環境が整う時まで自衛隊の存続が認められています。それは、この憲法の条文が時代にそぐわない、という理由からです。
この条文中で「国の交戦権は、これを認めない。」の条文だけを削除すれば、日本の自衛隊は憲法に違反せず戦うことができるわけです。
これは、陸海空軍の保持をしないのだから、わざわざ述べる必要もない条文だと思われますが、生物兵器とか化学兵器などは軍隊がなくても使用可能かもしれません。また、経済戦争という言葉もあります。

それでは、日本は外国からの不法侵入者などに対して何もできないかというと、そんなことはないのです。例えば海上保安庁は警察組織なので、銃で攻撃された場合には撃ち返すことができます。
この例は過去に何度かあり、数年前にも漁船に偽装した北朝鮮のスパイ船に対して、海上保安庁の巡視船が20ミリ機関砲で銃撃を行った事件がありました。
この時には、検閲を行った時に銃撃されて保安庁員が負傷したので、逃げたスパイ船を停止させるために行われたのです。結果としてエンジンが壊れた漁船が自爆して乗員と共に海に沈みました。この様子はテレビで放映されました。
また、津軽海峡を通過しようとしたソ連のスパイ船も停止命令を無視して銃撃され大破し補足されたようです。だから、現時点ではこのレベルの事件に対して対応可能だと思われます。

現憲法下で育った我々は、この憲法下での生活に慣れています。さらに、気がつかないけれど、様々な自由や権利を所有しているのです。
だから、あまり安易に憲法をいじらない方が国民にとって利益があるように思われます。
余計なことだとは思いますが、憲法改正は日本とその国民の未来に大きな影響を及ぼすので少し書いて見ました。

植木淳一

2013年3月28日木曜日

2013年の桜の花

桜の花が満開となりました。
東京の上野公園でも連日のようにお花見が賑やかにされている様子です。
やはり春はお花見の季節が一番良いですね。

このところ、晴れた日には極力、桜の花を写真に納めるように心がけています。しかし、そういう時に限って花曇りとか、雨がしとしと降ったりで、なかなか思うような写真が撮影できません。
青空に向かって差し伸べられた枝と花からは、花の生命力のようなものを感じるし、なぜか昔の懐かしい印象がよみがえってくるような気がする時もあるのです。そしてお花見をしていると平和な気分に浸れます。
桜の花の見所は、春の一週間から十日の間くらいの短い期間ですが、その間は平和な穏やかな雰囲気の中で過ごしたいと思うのです。

植木淳一

2013年3月20日水曜日

●梅の花の季節が過ぎて桜の花が咲き始めました。

 こんにちは。このところ天候は不順ですが、かなり暖かな日が続いています。
 一週間前くらいに咲いていた梅の花が、今日は殆ど散っていました。
 しかし、今日のテレビでは東京で桜が咲き始めて、上野公園ではお花見をしている人達がテレビで紹介されていました。また、隅田川公園でもお花見がはじまっていて、地元では3月月末を開花予想していたらしいのですが、その予定より十日も早く桜が咲いてしまったようです。今年は例年より暖かな日が続いたためのようです。こちらでも桜は早く咲き始めることを予定しておくべきなのでしょう。写真は、家の近くにある梅園の梅の花の写真です。

 政府は、311の東北大震災の2周年記日を控え、同震災への復旧費を25兆円に上乗せしました。自民党の阿部内閣は、このところ人気が急上昇中で支持率が70%に達したとか。なかなか良い出足のようです。この調子で今後も頑張ってほしいものです。
 千葉の県知事選挙は森田健作氏が再選されました。私の選挙区では投票率27%台と低きものでしたが、彼は投票した人たちのうち80%近くの票を獲得してダントツでした。今後も千葉の産物を宣伝して、千葉県の人たちの福利の向上を目指してほしいものです。

★ロシアの隕石落下事件

 先月、ロシアに隕石が落下して空中で爆発し、衝撃波により1200名以上の負傷者がでました。負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。
 NASAの発表によると、この隕石の大きさは直径約17mで重さが1万トンだそうです。そうすると全体としての比重は3.88くらいと計算されます。また、大気圏への突入速度は秒速18kmだと言います。近くの湖で発見された隕石の破片からは鉄分とケイ素や硝酸塩が検出されたとのこと。
 まさに天災ですが、それでも地上に落下しないで良かったのではないかと思われます。というのは、その爆発力がNASAの試算では500キロトンのTNT火薬の爆発に相当するということで、これはヒロシマ型原爆を16.7キロトンとした場合の30倍に相当します。
 これだけの爆発力があっても、高度が20km以上(~50km)あるので、地表への影響はこれくらいで済んだものと思われます。(広島の原爆は地上500-600mで爆発したと想像されている。同じ強度の爆発だと、20km離れるとその衝撃は500mの時の1600分の一になる。)
 しかし、こうした隕石の落下は数百年に一度という確率だそうなので、あまり心配しないほうが良いようです。

 植木淳一

2013年1月5日土曜日

★謹賀新年 今年もよろしくお願い致します。

謹賀新年
このブログを読まれている方々、本年もどうぞよろしくお願い致します。
さて、最近は社会が安定してきたようにも思われます。やはり、新たな体制への社会の構図が固まり、その意味で、社会の変化が少なくなってきた事がその理由の一つでしょうか。

前の記事では、給料の分配について書きました。
つまり、無い袖は振れない、という諺もありますが、日本国内の生産やサービスにより生じる『お金』を、どう国民に分配するのかを考えてみました。
その記事には、企業内での給与の配分による社員達へのしわ寄せの分配、という方法が書かれています。しかし、社会全体で経済体制を変えずに行なえる方法もありそうです。そちらは、どなたか優秀な頭脳をお持ちの方にお任せする次第です。

以下は、それとは違うのですが、ある空想的なお話に関する話題を取り上げてみました。

イエスキリストは、五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆を満腹にさせたと聖書にはあります。
いわゆる『人はパンのみで生きるにあらず』という言葉に象徴されるように、『パン=神の言葉=教え』という解釈も成り立つのです。
もしかしたら、あまり運動をしなければ、人体は少しの食べ物でもうまく機能してくれるものかもしれません。しかし、それは単なる夢物語だ、という人もいるでしょう。

◎ユハネによる福音書第6章1節より
『その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。』


以上の記述と似た記述が四つの福音書全てに書かれています。だから、相当に重要で、弟子たちの印象にも強く残った出来事だと考えられます。ここで、この内容を少し考察することにします。

まず、イエスは弟子たちを試して質問をするわけです。

『「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。』
これに対して、
『ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」』

これは、当時の物価をある程度知ることができる情報でもあります。つまり、五千人にパンを少しづつ与えるのに、200デナリのお金が必要と計算したのです。
これを元に計算すると、例えば五千人に400円/人のパンを支給すると、5,000✖400=2,000,000から、二百万円かかるのです。(1デナリ=1万円と換算して良いのかどうかは知りません。1デナリは当時の傭兵の一日分の給料だと書籍に書いてありました)
今は百円マックがあるので、それを買えば安上がりに出来るかもしれません。しかし、マックをセットで買うと一人当たり640円にもなります。安いコンビニ弁当でも、300円から500円くらいはかかります。それに飲み物を付けると大変な金額となります。

このような事を、毎回、集まった群衆にできる訳がありません。

次に、そばにいた別の弟子のアンデレが面白いことを言います。
『弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」』

すると、イエスは、では見ていろ、と言わんばかりに大衆を草むらに座らせて、感謝を捧げた後、その五つのパンと二匹の魚を分けて弟子達に配らせます。つまりは、これで食事にしよう、という合図でもあったわけです。すると、五千人の大衆は皆、お腹が一杯になるまで食べて、余ったパンクずが12のカゴに一杯となったと書いてあります。

こうした現象を現代で起こすとすれば、集団催眠術でしょう。つまり、現代人がこのような現象を起こそうと考えると、集団に催眠術をかけて食事をしたという暗示をかけるとか、薬物とか特殊な香料を使い皆が満腹感を得るというような、何らかの方法を講じるしかないわけです。
また、物理的にみると、五つのパンと二匹の魚で、食べた残りが12のカゴに一杯となるのは無理でしょう。これが現実に起きたとすれば、まさに集団の幻覚か奇跡としか言いようがありません。

◎もう一つの解釈方法(個人的なものです) ところで、もう一つの解釈方法があります。そのヒントがアンデレの言葉にあるのです。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

この言葉から、当時の背景を考えてみると、そこにきていた少年が『お弁当』を持っていた事に注目したいと思います。

おそらく、彼をそこに行かせた母親が、遅くなってお腹が空いたらそのお弁当を食べなさいと、その少年に持たせたに違いないのです。
そのように、子供でさえお弁当を持参して来ているとすれば、他の大人たちはどうでしょうか。やはり、たまたま通りかかりに聞き入った人を除けば、そこにイエスのお話を聞きにきた多くの大人達もお弁当を持参していたに違いないのです。問題はそのお弁当の総量です。はたして五千人が食べて十分な量であるかどうかです。
イエスは十分な量であると見抜いたのでしょう。彼は厳かにその行為を行いました。彼はまた、隣人愛を説いていたので、群衆はその教えとイエスの行動に従い、自分の弁当を周囲の人たちに分けたのです。こうして、皆の弁当は細分されたが、そこにいる全員に行き渡ったのです。おそらく、その弁当を放出した少年にも、集まった大人達から『ほら、これを食べなよ』と差し入れがきたに違いないのです。
弟子たちは、環境美化のために食事の余りを集めてカゴにいれさせたのかもしれません。こうして、和気あいあいと食事の時間が過ぎて行った、という想像も許されると思います。

こうした『気遣い』(貧乏な講師たちに食事の心配をさせない)は日本人的な発想かもしれませんが、ユダヤ人達にも有ったのではないかと想像しています。
ここでの教訓として、大勢が集まれば、皆で食事をすることくらいは何とかなるものなのだ、ということでしょう。

植木淳一

2012年12月31日月曜日

◎日本の国民総所得を均等に分配すると、約370万円/年/人

今朝、買い物に出かけてふと思いついたのですが、いったい日本は 国民一人一人が、どれくらいの生活が出来るのか、また望み得るのか、という目安を考えてみました。

2011年の日本の名目GDPは4681兆911億円という統計があります。また、国民の人口は2012年の3月に1億2665万人になったそうです。
経済学では国民総生産が国民総所得に等しいという考え方があります。そこで、この名目GDPを総所得の目安の値として使うことにします。(名目GDPとはGDPに物価変動などの影響を含めた数値です)
そうすると、国民一人当たりの所得は481,911(億円)÷12,665(万人)で、約369.673万円となります。つまり、2011年には国民一人当たり年間約370万円の所得があったことになるのです。
また、年収が370万円の人は、一ヶ月あたり約30.8万円の給料の人となります。(370[万円]÷12[月]≒30.8[万円/月]。この場合ボーナスは無しとし考えます)

この数値は単純に、日本に住む赤ん坊の数とか老人の人数まで含めた全部の人数で、国民総所得を割り算して出した数値です。
しかし、赤子には毎月30.8万円はかからないはずだし、家族で住んでいればこの人数倍のお金は必要ないでしょう。
とはいえ、子供のうちは保育園や学校の建設や運営など、教育のための費用がかかります。また、老人たちには医療費や介護費が他の年代より多くかかるわけです。

過去のGDPの推移を見てみると、1990年代からプラトーに落ち入り、あまり変わっていません。むしろ若干、低下傾向にあります。

名目GDPの推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

(出典は下記ページ)
http://ecodb.net/exec/trans_image.php?type=WEO&d=NGDP&c1=JP

こうしてみると、現在の日本の経済状態はそれほど悪くはないかもしれないが、あまり贅沢はできないという事になります。つまり、富の分配をもっと公平で均一化すれば、皆が十分に健康で文化的な生活ができそうではあります。つまり、国民の総所得を皆で分かち合い、痛みをも皆で分け合って暮らせば良いのではないか。極端な例として、家がなく路頭に迷うような不幸な人を無くす事ができるはずだという事になります。

私は共産主義者ではないですが、日本国憲法の理念とする、国民一人一人が健康で文化的な生活を過ごす権利を実現するために、なんとかこうした富の配分の均一化を行なえないかと、冴えない頭を叩きながら計算をして見たのです。
こうしてみると、日本国民はそれほど贅沢な暮らしはできないようですし、格差社会の進展など、世の中の情勢はなかなか厳しい部分もあります。それに関して、今後は政治家の方々にも同様のご努力をお願いしたいと考える次第です。

たとえば、会社の業績が悪化したとしてもリストラによる解決は禁止して、社員に均等に減給をして危機を乗り切るよう指導するとか、労働基準法で「社員の給料は会社の収益に連動させる」事を決めるなど、方法は幾つか考えられます。

その具体例の一つとして、給与のうち三万円から五万円くらいの金額を、会社の損失補てん費として分離して支給しておき、会社に損失が出た場合、その分を社員の給与から天引きして補填する方法です。
例えば、従業員が500人の場合、会社の損失が2000万円出たとすると、社員一人当たりのいつもの給料から(2000万円÷500人=)四万円が差し引かれて支給されるわけです。また、損失がこの補てん費を超えた場合には、労働組合と協議して、さらなる補填を認めるかどうか話し合いで決めるとしておくのです。
こうした金額を決めておくのは、社員のローンの返済額などを計画する上で役に立つと考えられます。
また、会社に利益が上がった場合には、社員にその利益分を還元する事も必要となります。

このような、会社の損益を社員の給料に還元する方法が、最も簡易に日本社会全体のパイを、国民に比較的均等に分配する方法のひとつとして考えられます。

◎労働時間の短縮により解決?
もう一つの方法として、労働時間の短縮があげられます。
日本の労働力として就業している人数は、2010年で6257万人だそうです。しかし、完全失業者は334万人もいます。こうした状況で、労働をしている人達の一日の労働時間を、法令により(例えば)30分短縮するのです。(http://www.stat.go.jp/data/nihon/zuhyou/n1600200.xls)
すると大雑把な計算ですが、6257(万人)✖0.5(時間)=3128.5(万人・時間)となります。
これは、一人当たりの労働時間を7.5時間と仮定すると、3128.5(万人・時間)÷7.5(時間)≒417.13(万人)の労働力が必要となりますので、結局、417.13万人程度の雇用が見込まれます。逆に言うと、この人数(工数)が、リストラなしでカットされるわけです。
このことをよく理解するには、例えば30人の職場があるとして、この職場では一人一日8時間の労働をしていて、日々の仕事をこなしていると考えます。
この職場で、30分の時間短縮をすると、0.5(時間)✖30(人)=15(人・時間)の労働力不足が生じます。つまり15(人・時間)の労働力が必要となります。これは、15(人・時間)➗7.5(時間/日)=2(人・日)で、二人分の労働力です。つまり、30人の職場では、フルタイムの二人分の労働力が必要となる事です。

会社では、この2人分の工数不足をどうするのか選択できます。つまり、会社が不況で社員の人数を減らしたい場合には、そのまま人を補充せずにいれば、2人分の人数を削減した事になり、社員のリストラはしないですみます。また、会社の景気が良く、仕事がきっちりある場合には、その不足した人数の2人分を雇う結果になります。これは雇用の拡大につながります。また、会社の状況によっては、その二つの中間的な対処処置を行う場合もあるでしょう。
例えば、一人分の工数を減らして一人を雇うとか、1.5人分の工数を減らして0.5人分の労働力を社員の残業で補うことなどです。しかし、このようなケースの場合、社員の残業で補うことは極力避けて(禁止して)、できればアルバイトを雇うことで解決して欲しいものです。その方が雇用の促進に役立つわけです。
すべてが上記のように上手くゆく訳ではないと思いますが、大まかな計算結果では、上記のようにして、日本中で30分の時間短縮をすると417万人ほどの雇用が生まれるか、またはリストラなしで労働力の削減が生じるのです。

このブログをご覧の方々、どうぞ良きお年をお迎えください。

植木淳一

2012年12月13日木曜日

★選挙戦たけなわ

いよいよ12月23日も間近となり、今年もあとわずかの日数となりました。
日本は今や選挙戦たけなわ。12の政党が入り乱れて論戦を続け、投票日まであと三日になりました。

この中で、論争の一つに憲法改正の項目があります。いわゆる平和主義の項目ですが、憲法改正反対が日本共産党とみどりの党だけで、あとは多少の差はあっても改正側になっています。

通常、この構図は逆で、共産側が憲法改正を主張するはずですが、そうでない所に日本の置かれている複雑な立場があります。

日本は敗戦国なので、今の憲法は連合国側から与えられたものです。しかし、終戦以後67年を経た現在まで、日本国民は、その憲法を一字一句変えないで守って来た事は、賞賛に値するのでは無いかと考えられるのです。
私としては、戦争を放棄するという理想を掲げた憲法は素晴らしいと思いますし、世界の未来を志向したものではないかと考えます。ただ、現状はその字句通りではなく、アジア地区では第二位の軍事力を持つ国となっています。これは、世界情勢に合致した臨時的処置として、世界情勢が整うまで「自衛隊」の存在を国会が認めているためです。

日本国憲法の素晴らしさは他にもあり、思想や信教の自由が大幅に与えられている事でしょう。(以下はその条文)
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第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
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とはいえ、いくら優れた理念を持つ法律を施行しても、それを上手く使いこなせるだけの理性と常識、倫理観を国民達が持たなければ、悪戯に混乱を助長しかねません。この点で今後も良き教育が必要と考えるのです。
今、選挙の只中で、日本の未来と世界の未来像に思いを馳せてみると、ここしばらくの間は、あまり良い未来像が浮かばないことを残念に思います。
私たちは、まだ経済的安定とか、必需品の生産と分配、さらには年金や政治機構、社会保障と言った社会機構の改良においても、努力を続けなければならないようです。
しかし、個人的には大したことができないとしても、未来の社会を明るく良いものとしてイメージをし続けることが、結果として、それらを良い方向へと向かわせる力になると信じたいです。

植木淳一

2012年11月21日水曜日

⚫風邪の最中に考えた事。(最後の千年紀)

⚫再び、イエスの再臨についての妄想

私が風邪を引いて寝ている時に、ある考えがふと蘇ってきました。

そうだ、今は「終わりの日」ではなかったのか。
今の我々は、地上世界最後の千年間にいるのだ。
だとすると、この地上世界はあと千年も続かない。
(聖書には一日を千年と考える発想があります)
こんなにのんびりして居て、良いのだろうか?
何か成すべき事はないのか。

というような事でした。
(もちろん、その最後に何が起きて地上人類が滅亡するのか、私が知る由もありません。もしかして、巨大隕石が落下しても人類滅亡はありえます。しかし地球は存続するでしょう。)

その最後の千年間の始まりが1939年だとすると、終りの2939年まで、あと927年もあります。

これは十分に長いと考える人が多いでしょう。それとも、月面とか火星など、最後のあがきとして宇宙へ逃げて、地上の何らかの災害から逃れるには短い期間だと考える人も、少しはいるかもしれません。

⚫「エホバの証人」達の証言より考えること

過去に「エホバの証人」たちは聖書の預言に対して、ひとつの証明を果たしたかに見えました。それは、1914年に第一次世界大戦が始まったことに関連しています。

福音書の中でイエスは、自分が未来に再来する事を述べています。
その兆候として幾つかの現象を述べていますが、その中の一つに、聖書の福音が世界中に宣べ伝えられることをあげています。

この場合の「世界」が、当時のローマ世界だという可能性もありますが、神聖ローマ帝国時代にも彼の再来はなかったようなので、この仮説は考えないことにします。

そうなると、この「世界」は本当の地上世界という事になります。すると、16世紀に世界を股にかけた大航海時代が始まったのも、その前提条件を満たすものと考えられます。つまり、この時代前には、その条件が満たされていなかったわけです。そうして、世界に福音を携えた宣教師達が出かけて教えを宣べ伝えて、20世紀を迎えるわけです。

さて、それでは「エホバの証人」たちは何を伝えたのでしょうか。

それは、聖書に従った生活を過ごすことですが、預言に関して重要な事がありました。
もともと聖書には預言の成就に関して、謎解きとして書かれている事があります。
その画期的な出来事は、過去にも何度か書いたように1914年を異邦人が支配する「七つの時」の終わりとした事でした。彼らがその年に何かが起きると考えていると、第一次世界大戦が発生しました。

また、ユダヤ最後の王朝がローマの将軍ポンペイウスにより滅ぼされて(BC63-62年)から二千年目として1939年が得られます。この年には第二次世界大戦が勃発しました。これは偶然でしょうか。それとも、預言が成就したと見るべきなのでしょうか。

1914年と1939年は、互いに25年の差はありますが、21世紀初頭の年です。この時代に、聖書の預言に関連した出来事が起きたのです。

⚫イエスは3日目に復活する

さて、これに関連してもう一つの考え方があり、それとの重複も見逃せないのです。
それは、福音書の中でイエスが再三にわたり述べていた「彼が死後3日目に復活する」という事柄です。

福音書にはイエスが磔刑で死に、遺体が岩穴のお墓に葬られたが、3日目に弟子たちがお墓に出かけてゆくと遺体は無くなっていました。そして、近くにいた天使(?)に、イエスは蘇ってそこに居ないと告げられます。後日、弟子達はイエスの霊体(?)を観て復活を信じることになりますが、イエスは昇天してゆきます。この記述から、イエスは復活したことが説明されます。

ところで、イエスの再臨というのはいつ起きるのかというと、それは「終わりの日」です。

イエスをもてなしたラザロの妹マルタは「終わりの日の復活の時に、復活する事は存じております」(ヨハネ11章24)とイエスに言いました。
また、この「終わりの日」は、やはり千年単位に考えるべきようです。 ペテロはイエスの再臨に関して述べています。

「主のもとでは一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人達は遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです。」(ペトロの手紙二、3章8ー9)

こうなると、イエスの再臨は、三日目という事になるのではないか、という仮説が成り立ちます。
つまり、イエスが亡くなった時が第一日目の千年間の間であり、二日目の千年間がそれに続き、今は三日目の千年間が始まっているのです。しかも、この千年間が「終わりの日」と言われる特別な日なのです。
まとめると、
第一日目、紀元前61年:ユダヤがローマにより属国とされた時〜
第二日目、939年〜1939年
第三日目、1939年〜2939年

というわけです。
さて、この千年の間に人類は何をなすべきなのか。また、何が出来るのかを再考するのも悪くはないと思ったのです。もちろんこれは、無理をして大衆のために働けといっているのではありません。せいぜい百年くらいの寿命しかない自分自身のためにも為すべきことがあるのではないかと思うのです。

貴方だったらどうしますか?

植木淳一


⚫補足です。

紀元前と紀元後の年代で、期間計算をする場合には、ある点に注意する必要があります。それは以下の計算でわかります。

(1)紀元後⒉年4月と紀元後1年4月の間は1年です。
計算では、2-1=1、となります。

(2)紀元後2年4月と紀元前1年4月との間は2年です。
計算では、2-(-1)-1=2、となります。
この場合、(-1)は紀元前一年を表しています。
また、紀元前と紀元後の年数計算では-1する必要があります。

(3)紀元前62年から千年後は紀元何年でしょう。

まず、求める年をXとします。すると、上記の(2)から、
Xー(-62)-1=1000
という方程式ができます。
この式を変形して計算すると、
X=1000ー62+1
X=939
で、求める値が939年であることがわかります。

また、このBC62年にユダヤの王権が滅んでローマの属国となって二千年後の1939年に、ヒットラー率いるドイツ軍がポーランドに攻め入りました。そして、ヨーロッパの他の列強がドイツに宣戦布告して第ニ次世界大戦が始まったのです。
こうした数値は単なる偶然の一致かもしれませんが、何かその背後に作用している力の存在を考えてみたくなるのです。
そのキーワードの一つが「大艱難」の時代と言えるのかもしれません。

もう一つの補足。

★ユダヤ暦は9月中旬から10月初旬に新年を迎える。

つまり、ユダヤではお正月が夏にあるのです。
このことから、ある疑問が成り立ちます。それは、ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを占領して、ユダヤをローマの属国としたのは紀元前63年と歴史書に書かれていますが、もしかしたら夏のお正月を過ぎて、次のBC62年になっていたのではないかとも考えられるのです。(これはあくまでも可能性であり個人的な考えです)
ポンペイウスは春からエルサレム攻撃を用意して、三ヶ月をかけてエルサレム城を包囲したとあります。そして、城を攻撃して占領し、その事後処理や、ユダヤを属国とする手続きまで含めた期間を考えると、9月から10月を過ぎてもおかしくはないと考えるのです。

結局、ユダヤ暦は太陰太陽暦であるし、一年の境目が夏にあることから、西暦年と比較して一年くらいの差が生じる事は良くあると考えておいた方が良さそうです。