2009年7月13日月曜日

●予言書「をのこ草紙」より

 昨日、7月11日(土)に放映された「たけしの禁断の超常現象(秘)Xファイル」を見ました。これは、当日、借りてきたビデオを見ようとしてテレビのスイッチを入れた時、偶然に見たものです。
 相変わらずの内容でしたが、番組終了間近にあった「をのこ草紙」に関する話題(未来予言)に興味をもちました。

 この「をのこ草紙」は、いまから約280年前、八代将軍徳川吉宗(在位1716−1745)が享保の改革(1723−1745)を実施していた頃に流布したといわれる幻の予言書で、原本は存在しません。しかし、この写しが神道天行居の創立者として有名な友清歓真(1888〜1952)の手に渡り、彼の名著『神道古義地之巻』に引用されて、今に伝わったとされます。
 その著書のなかで友清は、昭和5年(1930年)に、ある人物から次のような雑誌の切り抜きを送られたとして、『をのこ草紙』の一部を紹介しています。

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(本文)
 今より五代二五〇年を経て、世の様変わり果てなむ。切支丹の法いよいよ盛んになって、空を飛ぶ人も現れなむ。地を潜る人も出て来べし。風雨を駈り、雷電を役する者もあらん。死したるを起こす術も成りなん。さるままに、人の心漸く悪くなり行きて、恐ろしき世の相を見つべし。
 妻は夫に従わず、男は髪長く色青白く、痩細りて、戦の場などに出て立つこと難きに至らん。女は髪短く色赤黒く、袂なき衣も着、淫りに狂ひて、父母をも夫をも其の子をも顧ぬ者多からん。万づ南蛮の風をまねびて、忠孝節義は固(もと)より仁も義も軽んぜられぬべし。
 斯くていよいよ衰え行きぬる其の果に、地、水、火、風の大なる災い起りて、世の人、十が五は亡び異国の軍さえ攻め来りなむ。
 此の時、神の如き大君、世に出で給い、人民悔い改めてこれに従い、世の中、再び正しきに帰らなん。其の間、世の人狂い苦しむこと百年に及ぶべし云々。
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【現代訳】
 今から五世代、250年が過ぎると、世の中の様子も変わり果てるだろう。キリスト教圏(西欧)の思想も益々盛んとなり、空を飛ぶ人もでてくる。地に潜る人もでてくる。風雨を動かし雷電を利用する者もいる。死んだ人を生き返らせる手術も成功する。その様ではあるが、人の心が次第に悪くなってゆき、恐ろしい世の中となる。
 妻は夫に従わず、男は髪を長くして色白の顔でやせ細り、戦争に出かけることなど出来そうにない。女は髪を短くして顔の色は赤黒く、袖のない衣類を着て淫らな行いに狂い、父母や夫、その子をも面倒をみない者が多い。すべて西欧の文化をまねして、古くからの風習である「君主に忠実である」こと「親に孝行する」こと「節約の美徳」だけでなく、「仁」や「義」も軽んじられている。
 このようにして、さらに(国や民の力が)衰えて行き、最後には大変な大地(の変動)や水害、火の災害や風の災害が起きて、国民の10分の5(半分)が死んでしまう。また、外国の軍隊が攻め込んでくる。
 この時に、神のような偉大な指導者が社会の表に現れて、民衆が悔い改めて彼に従うので、世の中は再び正しい世の中に復帰する。その間、世の人たちが狂い苦しむこと100年間に及ぶ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(現代語訳)

●要約すると。
 つまり、『をのこ草紙』によれば、西洋の物質文明や価値観により日本人の心はしだいに失われ、その果てに大地震や大洪水、大火災や台風などの異変が発生し、人口は半分に減って、外国の軍隊が攻めてくる事態も予想されるという。その時期は、1966年から1995年の間に始まっていると考えられる。(これは、吉宗の在位期間1716年―1745年に、250年を足した数値。)
 とすると、神のごとき指導者が現れるのは、さらに百年が経過した2066年―2095年の間となり、その時までわれわれは、狂喜じみた世の中で苦しみ続けなければならないことになる。

● 個々の話題の検証

(1) 「キリスト教圏(西欧)の思想も益々盛んとなり、空を飛ぶ人もでてくる。」

  これは、明治維新(1868年)から日本は西欧文明を取り入れる政策に転換したことが反映しています。それから、友清氏の書物が書かれるまで62年間ありました。彼は益々西欧文明が隆盛したと感じていたことは事実でしょう。人が空を飛ぶのは1903年にライト兄弟が初飛行をした後から始まる出来事で、友清勧真著が「神道古義 地之巻」を書いたときには、すでに空を飛ぶ人はいたのです。

(2) 「地に潜る人」

  意味不明で、鉱山などは江戸時代からあるので、その意味ではないと思われます。日本で最初の地下鉄ができたのは1927年で、友清氏の著書ができる3年前でした。
 
(3) 「風雨を動かし」「雷電を利用する」

  これはよくわからない記述です。あるいは火力発電所のことかも。火力発電は、石炭や重油を燃やした熱でボイラーの水を蒸発させて強力な高圧水蒸気を発生させます。そしてこの水蒸気をガスタービンに吹き付けて発電機を回転させ、電気を起こします。日本の電気事業は1883年(明治16年)に始まりました。そして、1887年に火力発電所を建設して、電力の供給をはじめたそうです。後の東京電灯株式会社です。これも友清氏の時代にはありました。

(4)「死んだ人を生き返らせる手術」

  心肺蘇生術のことだろうか。これは心臓停止や呼吸が止まった人のために心臓マッサージや人工呼吸などで、蘇生を行う方法。

(5)「人の心が次第に悪くなってゆき、恐ろしい世の中となる。」

  これは、日々のニュースで報じられている凶悪な事件などを考えると当っている。

(6)「妻は夫に従わず、男は髪を長くして色白の顔でやせ細り、戦争に出かけることなど出来そうにない。女は髪を短くして顔の色は赤黒く、袖のない衣類を着て淫らな行いに狂い、父母や夫、その子の面倒をみない者が多い。すべて西欧の文化をまねして、古くからの風習である「君主に忠実である」こと「親に孝行する」こと「節約の美徳」だけでなく、「仁」や「義」も軽んじられている。

  これは、現代の世相にあてはまる。特に第二次世界大戦後の日本に当てはまるので、やはりこの時代から後のことかもしれません。

(7)「最後には大変な大地(の変動)や水害、火の災害や風の災害が起きて、国民の10分の5(半分)が死んでしまう。また、外国の軍隊が攻め込んでくる。」

  この部分は、まだ起きていない未来の出来事のようです。
  とにかく、国民の半分が死んでしまうようなことは、大変な災害が起きる事を意味しているし、外国の軍隊が攻め込んでくるような場合は、上記の災害の結果、国防力が無くなる結果だろうと考えられます。問題はこの時期ですが、詳しくは述べられていません。しかし、この後の記述の外国の軍隊が攻め込んでくる前であることは想定できます。また、この後に出現する偉大な指導者の出る100年後の直前近くであろうと考えられます。

(8)「この時に、神のような偉大な指導者が社会の表に現れて、民衆が悔い改めて彼に従うので、世の中は再び正しい世の中に復帰する。」

  これも、まだ起きていない未来の出来事の予言で、このような指導者が現れることを期待したいですね。

(9)「その間、世の人たちが狂い苦しむこと100年間に及ぶ。」

  この偉大な指導者が現れるまでの100年間は待つことしかないようです。
  この時期を、徳川吉宗の治世(1716年―1745年)から計算すると、250年+100年で350年を加え、2066年―2095年の間となる。とすると、われわれは、まだ当分の間は現状の生活を続け、狂い苦しまなければならないようです。
 しかし、これが友清氏の捏造記事だとする可能性もあります。

 こうした予言類は、様々な要素を持っているので、よく吟味してその実態を見抜かなければいけないと考えます。

 植木淳一

4 件のコメント:

Po さんのコメント...

驚異的な内容ですね。
私も全く知りませんでした。

Unknown さんのコメント...

私もこの番組で認識したのですが、なぜか番組で紹介された書籍を持っていました。おまけに、そこに同じ内容が書かれていました。(笑)
番組では、2012年12月21日のマヤの暦に関しての説明の途中で、「日本人の半分が亡くなる」という部分に焦点をあてていたので、その後に書かれている事は出していませんでした。それで、全文を知りたくて色々と探したのです。
本文を読んでみると「外国の軍隊が攻めてくる」という部分が、ホピの予言にリンクしているような印象がありました。
これは偶然の一致なのかどうか、わかりません。他にも似た予言があれば面白いのですが。

匿名 さんのコメント...

夢をつぶして申し訳ありませんが、「をのこ草子」というのは昭和初期にかかれたものですよ。
だって、吉宗の時代に書かれたというけれど、本物が見つかっていませんし、同時代の書物にも何ら「をのこ草子」に言及した文献がありません。
第一、文面をみたらわかりますが私たちでも十分理解できる文面です。江戸時代の文献、たとえば西鶴でも近松でも、現代の私たちではすぐ理解することができません。
こんな予言書があればおもしろいとは思いますが。

Unknown さんのコメント...

こんにちは。貴方の言われるとおりですね。
引用されている文章は、おそらく、江戸時代に書かれたものではないでしょう。
それで考えられることは、『この写しが神道天行居の創立者として有名な友清歓真(1888〜1952)の手に渡り、彼の名著『神道古義地之巻』に引用されて、今に伝わったとされます。』と書かれているように、神道古義地の巻に引用した時点で、現代語訳された(原書は戦災などで消失)か、もともと友清氏の創作であったという仮説も成り立つと思います。もちろん真相はわかりません。